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RADIO

2025.02.09

#33「ヤマウラ企画会議」

DIARY

2024.05.16

今の自分、未来への声明

LIVE

2024.12.11

折り紙で遊ぼう

ヘアメイクの
観察日記

アルバム「; semicolon」に写る今のyama

2025.03.06

早くも3月に突入し、まもなくツアーが始まろうとしていることにかなり驚いております。新しく出た4thアルバム「; semicolon」を聞かせてもらい、yamaにも色々と話を聞いたので、そんなことを書けたらなと思います。今回のアルバムを一言でいうなら「自己実現の第一歩」とyamaは言っており、飾らない自分でいるための第一歩なんだと教えてくれました。それがどういうことなのか、ぜひアルバムを聴いて欲しいという一言に尽きるのですが…。私はすごく「あぁ、yamaだな」と感じました。yamaが普段生きながら感じている感覚や、yamaから見えている世の中の景色が、今まで以上に澄んだ形で曲の中に生きていて、きっと、yamaが築きたい音楽との関係性に近づいていっているのだろうなと思いました。yamaという一人の人間が、様々なことを感じながら生きていて、生きるという行為の一つの大切な要素として音楽があって、そんなyamaの生きている記録が音楽という形に消化され、そしてまた音楽に生かされるというサイクルは、ただyamaにとっては自然なことで、必然のことなんだろうと思います。ものすごくピュアなyamaを感じました。たくさんある言葉の中からyamaが選んだ表現があって、そこに音が重なって、または音に言葉が重なって、作り出される世界観にはyamaの優しさや繊細さを感じます。なんだか心がほぐされた感覚でした。タスクを片付けていく忙しい日々のせいで、淡白な仕上がりのまま雑に放置してしまっていた思い出の記録たちや、取り止めもないような小さな瞬間、気づくか気づかないかわからないくらいの些細な感情など、小さいから埋もれてしまって、忘れかけていたことが実はたくさんあって、放っておいたらそのまま色褪せてしまっていたであろう過去の様々な場面に、yamaの歌声とメロディが色をつけてくれたような、そんな感覚に私はなりました。そこに、yamaの生き方を感じました。そんな瞬間があっていい、そんな感情があっていい。そんなふうに寄り添って、肯定してくれるような、そんなアルバムだなと私は感じました。一つの言葉や一つのメロディーに人それぞれ感じることがあって、それは人によって違うかもしれないし、同じかもしれない。聞いてくれる人たち一人一人にどんなふうに届くのか、勝手ながら私もとても興味があります。yamaが最近、物事に対する目線の変化があった、ということを教えてくれました。今までは辛いことが起こった時、その出来事との距離が近すぎて、主観的すぎて、視野がすごく狭くなってしまっていた。距離が近いが故に、その時の感情にフォーカスし過ぎてしまい、それだけでいっぱいになってしまっていた。でも最近は、その出来事と少し距離を取れるようになってきて、少し離れたところから、違う角度から、俯瞰で覗けるようになって、気持ちにもすこし余白が生まれたんだそうです。今こんなことが起こっていて、自分は今辛いんだな、と客観的に捉えることができるようになったのだと。そんな感覚の違いがあるからこそ、曲にアウトプットするときも今までとは少し違う感覚だと言っていました。近くによってみたり、ちょっと離れてみたり、いろんな場所から物事を覗き込んで、曲を書いていたそうです。音の撮り方も、今までは1音にこだわって何度も取り直していたらしいのですが、今回はテクニックよりも、もっと生きた感じを、ライブ表現に近い感情の機微を、そのまま音源にも繊細に閉じ込めたそうです。ただ綺麗に歌っただけではのらない、人間らしい揺らぎもそのまま閉じ込めたかったと言っていました。そんな表現につながっているのも、また一つyamaがいろんな感情を知り、その中で自分の感情も素直に受け止められるようになったからなのかな、とも思います。今までは自分の感情を素直に受け止められず、自分を責めてばかりいたようなのですが、最近はそんな自分もちょっとだけ肯定でき始めたよ、と教えてくれました。yamaの日々の変化を見て、yamaが懸命に生きていることを感じます。一人一人、生き方にそれぞれ癖があると思うのですが、yamaは自分の生き方の癖をだんだん理解してきたのかなと思いました。その癖を一つの個性として、自分の性質として、少しだけ肯定できるようになったのでしょう。だからこそ、yamaの音楽を聞いていると、こんな自分がいてもいいのか、なんてふと心が軽くなる気がします。人が誰かのことを肯定してあげることは簡単で、でも自分で自分を肯定することって難しくて。それに気がついて、今なら書けるかもと思って書いた曲がsemicolonなんだそうです。こんな自分でも少しだけできたよ!なんて言っているyamaがそこにいる気がします。いろんなことを器用にできる人だったら、そもそも音楽やってないよ、とyamaは言っていました。そんなことをいうyamaだから綴れる言葉がたくさん詰め込まれています。良いか悪いかの2択だけで物事を判断せず、その間にあるグレーな部分にも興味を持って観察しているのは、きっと説明のつかない自分の不確かな部分も、一つの形として丁寧に扱ってあげているからなんだろうなと思います。できる人ができることをやって、世界はみんなで助け合って生きていて、yamaも自分にできることをものすごく一生懸命やっていて、だから私も私にできることを一生懸命やりたいなといつも思わせてくれます。今はライブの準備真っ只中だそうで、自分と向き合って作った音楽を、次はお客さんに届けるという作業。エネルギー源が自分だった制作期間が終わり、次はお客さんへと代わっていく中で、見せ方や伝え方など、また新たな挑戦をしてみるよ!頑張るよ!と言っていました。そして、ライブを通したお客さんとの対話をすごく楽しみにしていました。yamaがアルバムを通して、そしてライブを通して、伝えたいことは、きっと今の一番yamaらしい姿で伝えてくれると思います。ただ演じて作り上げられたスター的存在ではなく、懸命に生きている一人の人間として、yamaを見てほしいのではないかなと思います。今月から、またチームみんなで全国各地を回ります。珍事件などあればこちらでこそっと共有しようと思います。笑とてもとても楽しみです。植條未来