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RADIO

2024.01.31

#29「ルポラジ、新年一本目!」

DIARY

2024.01.04

ご挨拶

LIVE

2023.10.06

上海Vlog

ヘアメイクの
観察日記

エネルギーと関係性

2024.03.24

只今ツアー真っ只中。全国各地をyamaを筆頭にチームみんなで走り回っています。いろんな場所にチームyamaの色を残していくこの感覚は、やっぱりツアーならではで、どこに行っても賑やかで仲良しなチームメンバーは疲れを知りません。(いや、実際には疲れているんでしょうが、それを感じさせないくらい賑やかです)ご当地の美味しいものを胃袋に吸収しながら全国を回っているので、みんな少しずつ肥えていく姿も見所です。そんなふうに走っているツアーですが、重ねた回数や会場によって、毎回少しずつ変化を続けています。会場も、来てくださるお客さんも違えば、ツアーを作っているスタッフもみんな人間ですから、ツアーが続く4ヶ月の間に起こるさまざまな変化が、ライブに反映されていき、毎回少しずつ進化を遂げています。そんな中、私がふと感じたことがあります。「あぁ、ライブってとても原始的なエネルギー交換の場だな」と。ライブを見ていて、yamaとお客さんの姿を見ていて、ふと思いました。yamaがエネルギーを放出しているのと同時に、お客さんのエネルギーもyamaに沢山影響を及ぼしています。“yama”という一点の的を起点に、エネルギーの交換が行われているんです。お客さん一人一人が、エネルギーを持ってyamaのライブに来てくれ、yamaのライブでもらったエネルギーをどこかで消化し、循環していく様に、yamaも同じ様にエネルギーをライブで放出し、またお客さんからもらっています。そのエネルギー交換の場所がライブであって、これってとても原始的だな、と思いました。そこに、楽しさや感動が生まれます。限定的で刹那的な場所だからこそ生まれる、その場だけのエネルギー交換。ライブって素敵だなと思いました。どれだけ文明が進化しても、人々が楽しいと感じたり、感動したりする理由って、変わっていないのかも、と思いました。では、yama自身はそのエネルギーをどこから持ってきて、そしてどこへ持って行ってるのでしょう。ステージ上ではyamaという存在は少し特別なものになりますが、ステージを降りると、良い意味でとても普通の人間です。yamaの場合、歌を歌う時に出すエネルギーは、歌を歌っていない時に貯めている様に見えます。何気ない生活の流れ、人との会話や美味しいご飯、素敵な場所や嬉しい出来事、そんな日々の営みの中の心の揺れ動きが、歌う時の 表現の基盤になっているようです。最近ふと、「もっと楽しいことたくさんしたいんだよね」とyamaが私に言ってきたことがあります。仕事や日々のタスクの隙間に、また別角度からの栄養を入れて、忙しい日々の流れに飲まれて自分が枯渇してしまわないように、人としての潤いを保つために、そんなことを最近は意識しているみたいです。そこで吸収したものが、表現する時の意識の下に滲んでくるでしょうし、さらに深く奥行きが出てエネルギーの色も変わってくるかもしれません。そんなふうにエネルギーを貯め、ライブに持っていっています。お客さんから受け取ったエネルギーは、その場でライブに生かされる事はもちろん、ライブが終わった後もしばらくyamaの中に残るようです。そんなエネルギーが次はyamaが歌うことに生かされていきます。音楽の制作活動の過程で苦しい時、そのエネルギーがとても助けになるようです。1人で録音して、1人で音楽を楽しんでいた時とは全然違う、と。待ってくれているお客さん一人一人の存在が、そして思いが、yamaが音楽を今も続けている大きな理由の一つとなっていて、お互い支え合い、助け合い、与え合い、1人じゃ成せないことがあるからこそ、人間関係って出来上がっていきます。yamaを取り巻くその輪は、とても暖かく素敵なものに見えます。この心理のロジックのようなものに気づいた時、私はライブやツアーの見え方がまた変わりました。yama自身、お客さんには、自分からだけではなく是非いろんなものからエネルギーをもらって欲しいと思っているみたいです。自分もそうだから、そして、きっとそんなふうにまわっていくものだから。仮面をして、顔を隠して、一見人間離れした見た目のアーティストですが、実は誰よりも人間らしく、強くて弱くて、温かくて繊細で、そんなコントラストがとても面白く感じています。何事も外側あっての内側で、外の殻を分厚くして自分を守りながら世間に出ていますが、それでも最近は自分の内側を認めて、少しずつ少しずつ仮面の端っこからちらっと覗かせていたりします。今後どんなふうに変化していくかわかりませんが、その未知な今後を楽しみながら、刺激を受けながら、また観察していけたらと思います。植條未来